![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
■名 称 | 篠山市篠山伝統的建造物群保存地区 (ささやまし ささやま でんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちく) |
■所在地 |
兵庫県篠山市東新町、西新町、南新町、北新町、河原町、小川町及び立町の一部 |
■種 別 |
城下町 |
■面 積 |
約40.2ヘクタール |
![]() |
■保存地区決定告示年月日 |
: |
平成16(2004)年7月30日 |
|
■国重要伝統的建造物群 保存地区選定年月日 |
: | 平成16年12月10日 | |
■選定基準 |
: |
(二)伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの |
|
■伝統的建造物及び環境物件 の特定数 (平成25年12月26日現在) |
: |
伝統的建造物(建築物) |
202件 |
伝統的建造物(工作物) |
63件 |
||
環境物件 |
72件 |
||
合 計 |
337件 |
![]() |
![]() |
![]() |
■保存地区の概要 |
![]() |
![]() |
![]() |
■保存地区の歴史 篠山城築城は、徳川家康が慶長5年(1603)に関ヶ原の戦いに勝利を収めたことを発端とします。家康は戦勝後の慶長8年(1603)に征夷大将軍となり、江戸に幕府を開きますが、大坂城には豊臣秀頼が健在で、豊臣家ゆかりの諸大名たちもその勢力を温存していたことから、大坂城を包囲する形で近畿の主立った城に譜代大名を配置する必要がありました。 城下町の整備は、この篠山城築城の翌年慶長15年(1610)から開始されます。城下町は康重の家老岡田内匠らが地割奉行となって、篠山城を中心に方格を基調として縄張りされました。城の東を南下していた黒岡川は城の南を西方向へ流下するように付け替えられ外堀の機能を持たされました。京街道は城下の南東に引き込まれ、北から西へと城下を貫くように整備されました。城下への出入り口には、真福寺、観音寺、尊宝寺、来迎寺、誓願寺、妙福寺を防御施設として配置しました。街道の両側には町屋を配し、東方並びに北方の防壁としての機能を担わせました。この町屋の整備は、周辺の町立てしていた町屋を城下へ強制的に移住させることによってなされました。一方、武家の住まいは城内に家老屋敷を配し、外堀の周縁に家臣屋敷、その外縁に徒士や中間足軽屋敷を配して、藩主の居住する篠山城を重層的に護るように配置されました。 明治元年(1868)に朝廷から山陰道鎮撫使が派遣され、城を明け渡すことにより篠山藩は終焉することになります。翌年には版籍奉還が行われ藩主青山忠敏が篠山藩知事に任命されます。しかし明治4年(1871)には廃藩置県により忠敏は職を解かれ東京への移住を命じられます。800人の藩士も俸禄を離れ、家老、家臣等武家の多くが篠山を立ち退き、篠山城周縁の武家町が衰退していくことになります。
|
![]() |
![]() |
![]() |
■保存地区の現況 保存地区は、篠山市の中心に位置する国指定史跡篠山城跡とその周辺に広がっています。 西新町並びに南新町、東新町の武家屋敷群は、篠山城の外堀を挟んで城の西から南、さらに東へ延びています。当該地区は江戸時代に家臣が集住した区域です。明治維新によって家臣の多くが篠山を離れたため、武家屋敷の多くは失われていますが、閑静な住宅地のまま残されてきたことから、城下町形成期に整備された区画道路が整然と残り、屋敷の敷地割りもよく原形をとどめています。また、西外堀から家臣居住区を挟んで西側の通称御徒士町通は、江戸期に建てられた茅葺きの武家屋敷が建ち並び往時の面影をとどめています。こういった武家屋敷の敷地内にはカキやクリが植えられ、当時の武家生活を偲ぶことができます。また城下町形成時に城下と城を防御するために植えられた竹林もよく原形をとどめ、篠山城の高石垣や堀とともに、篠山城下町の歴史的風致を高める役割を果たしています。さらに地区には、明治から昭和戦前期までの和風住宅も残され、篠山城下町の歴史的景観を特徴づけています。 篠山城の東南方向の小川町から河原町は、京都から城下への出入り口に位置し、町屋建物が建ち並ぶ地区です。城下町整備の一環として引き込まれた街道の両側に、瓦葺中二階の妻入町屋が数多く建ち並び、近世から近代にかけての商業的発展の様子を現在に伝えています。これらの建造物の在り方は、他町と比べ改造の度合いが著しく低く、篠山城下町の歴史的景観を最もよくとどめた地域となっています。また、城下町形成時に防御施設として建てられた真福寺や観音寺、また藩主の菩提寺であった本経寺が残り、町並みの構成要素として貴重なものとなっています。 当該保存地区は、篠山城を中核として武家と町屋の町並みが一体的に残っていることが特徴で、保存地区では地区住民の町並みに対する意識の高さもあって、歴史的な町並みがよく残されています。その中でも特に御徒士町武家屋敷群と河原町妻入商家群は、篠山城下町の町並みを代表する歴史的風致を今日によく伝えています。 |
■交通アクセス
※篠山伝建地区から東へ約12kmにある宿場町・農村集落の篠山市福住伝統的建造物群保存地区のページはこちら
伝建地区では伝統的な町並みを守るために、一定の基準が設けられています。
伝建地区内のすべての建築物等において、その現況を変える行為(現状変更行為)を行う場合は、あらかじめ市と教育委員会に申請の上、許可を受けていただく必要があります。
伝建地区内で建築・修繕など現状変更行為をお考えの方は、事前に教育委員会までご相談ください。
(連絡先)
篠山市教育委員会 社会教育・文化財課
〒669-2397
篠山市北新町41(市役所第2庁舎3階)
Tel : 079-552-5792(土日祝日を除く)